日記として書いてみる7 副題:自らのケア

 今日も引き続き日記的なものをかいてみようと思う。

最近は晴れよりも曇りや雨の天気が多く、過ごしやすい気温なのはともかく、何なとなく頭がぼーっとしたり、片頭痛が起きたりする。

 

そんな中で、週末は特にやりたいこともなく、靴下を買いに外出したついでに、面白そうだと思う道を選んで散歩していた。

自分の近所は閑静な住宅街という言葉がぴったりな幅の狭い坂道だけが特徴的な場所なのだが、

自分が散歩した所は道幅がとても広く、真ん中の街路樹を挟んでその両側で車が行き来していた。

 

そして、印象的だったのは大きな交差点の少し先にあった、だだっ広い坂道だった。

その坂道は本当に長く長く上までのぼっていて、どこまで続いているのか、少し離れた所からでも見ることが出来なかった。

坂道というものにある種の「大胆さ」のようなものを覚えたのはこれが初めてだった。

 

この日の自分は元気もなく、現在にも未来にも退屈しているような状態だったためか、

その坂道を見た時は、このまま自分を遠くまで、はたまた、果てまで連れて行ってくれるんじゃないかと、なんだか久しぶりにワクワクした。

 

その坂はまるで、映画『エクソシスト』で描写されていたような「上がっていく」というものだった。まさに天まで続いていると自分は反射的に思ったようだった。

そしてその坂道を登りきると、四方へと延びる道の上に交差点がど真ん中に現れ、そこを毛の長い大型犬が飼い主に連れられ、気怠そうに渡っていったを見た。

 

家に着いたのはそこから少し歩いてからだったが、落ち着いてから考えると、一直線に、そして平たんに続いていく道よりも、曲がりくねっていたり、坂道だったり、

そういった方が道として魅力があると納得した。

ほとんど憶えていないが、何かの番組で都市について取りあげられていた時に、ある人物がそれのようなことを言っていたのを何となく記憶している。

 

あの坂道はその大胆な上り坂に加えて、上りきるとそこには大きな団地が広がっている。

自分は団地を眺めるのが好きで、なぜ好きなのかは分からないが、高低差の激しい所にある自分の家の付近では、高さの低い所まで行けば、山あいにある大きな団地がはっきりと見える

 

一方で家族は団地に良いイメージを持っていないようで、なぜかとある時聞いたら、家族が幼少期に育った街は、高い建物のない平坦な土地で、背の高かった団地の建物は、よく飛び降り自殺する人が出たんだと言っていた。

「団地を眺めていると心が慰められるなあ」と思っていた矢先だったので、何だかその後に見てみると複雑である。

 

坂道から話題がだいぶ変わるが、自分自身のメンタルを養うことも健康に生きることのひとつだと思うし、休むことが必要だと見極めることも働くということだと思うため、自らをケアについて考えてみる機会にこの日記がなれば望外の喜びである。

 

自分程度が言うのも差し出がましいが、意外と誰かに話を聞いてもらうことよりも、その辺を散歩してみたり(気が向いたらだが)、森林浴してみたり、会話のない話というのを試してみるのも良いのかもしれない(自分は意外とこれで心が晴れることが多い)。

今日はこれでおしまい。